2015年8月16日日曜日

ブログ書評第30回『大衆教育社会のゆくえ』

みなさんこんにちは!ビブリオバトル信州の村上です。
8月も半分が過ぎてしまいました。今年度で大学生としての生活が終わる(予定の)身としては、「もう1/4も夏休みが終わってしまった…。」と、かなりブルーになっております。ビブリオバトル信州では夏休みの課題として、ご無沙汰していたブログ書評を復活させることとなりました。月に2回のペースで、メンバーが当番制で書評を投稿していきます。

                    

それではさっそく、夏休み第1回目のブログ書評です!第1回目は私村上が担当させていただきます。

今回紹介するのは、苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』です。



苅谷さんと言えば、『知的複眼思考法』を書かれた先生です。8月の中央図書館でのバトルで私が紹介した本でもあります。この本のタイトルを聞くと、「ああ、あの人か」と思い当たる人がいるのではないでしょうか。『知的複眼思考法』では常識を疑うことによって考える力をつける方法が紹介されており、『大衆教育社会のゆくえ』は苅谷さんが複眼思考法を実践したものであると紹介されていました。

苅谷さんはこの本で、日本における教育と社会との結びつきを外国のものと比較する「比較社会学」という方法によって明らかにしていきます。常識を疑うことで考える力をつけるのが知的複眼思考法だと紹介しましたが、この本ではどのような常識に着目しているのでしょうか。

良い教育を受け、一流の大学に入ることができる。そうすれば、一流の企業に就職して、幸せな人生を送ることができる。このようなサクセス・ストーリーは、多くの日本人に共有された常識となっています。しかし、この常識を背景にして学歴社会化や受験競争の激化が進行しており、このことが非行やおちこぼれ、不登校といった問題を引き起こしているという批判が聞かれます。そしてこの批判もまた、教育と社会の結びつきについての常識となっています。

私たちにとっては当たり前ともいえる、こうした教育と社会のとらえ方は、実は戦後の日本に特徴的な、ほかの社会においては必ずしも「常識」とはいえないユニークな見方であると苅谷さんは指摘しています。なぜこのような常識が成立したのか、苅谷さんはこの問いを立てて、各国の教育と社会とのつながりの成立過程を分析していきます。

この本を読むと、日本も外国も階層差と戦いながら現在の教育を作り上げていったことがわかります。しかし、階層差をどう取り扱うのか、このアプローチの違いが日本と外国で異なり、その結果、日本独自の教育と社会の結びつきが形成されることになります。この成立過程の細かな分析がとてもおもしろいです。

では、日本における教育と社会の結びつきの成立過程を見ることで、苅谷さんはどのような新しい考えを得ることができたのでしょうか。この点は是非この本を実際に読んで確かめていただければと思います。


新書ですがかなり読み応えのある本です。日本の教育はこれからどこに向かえばよいのか、夏休みの課題図書に是非どうぞ!(村上)

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